ブタゴリラはなぜ自主的に店を手伝うのか?(キテレツ大百科121話考察)
ちいたむです。
昨晩キテレツ大百科レビュー100話まで書きましたが
フライングで121話について書かせてください。
121話は「参観日、小鳥がハイクを作ったよ!」という回。
何気に五七五になってますね。
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授業参観は「国語」。
知っている俳句を挙げていく中、
ブタゴリラは「手を上げて 横断歩道を 渡ろうよ」と発表!
困ったブタゴリラの父ちゃんは、俳句の師匠として文鳥を買ってくる。
野菜の配達中お守を頼まれたキテレツたちは、
文鳥に獣類あやつり機でいたずらをする。
なんやかんやあって
「喋れる文鳥がいる八百屋」として店が大繁盛!
父ちゃん母ちゃんが客裁きに疲れて放心していたところ、文鳥が奪われてしまう。
ポストには、ペットショップの文鳥の価格と同じお金が入った貯金箱が入れられていた。
文鳥を盗んだのは小さな男の子。
文鳥がまだ小さいときから一生懸命お金をためて買おうとしていたところを
ブタゴリラの父ちゃんにタッチの差で買われてしまったとのことだった。
男の子が鍵っ子と分かった途端、文鳥は「やるぜ」と言って帰ろうとする。
その後、戸惑うキテレツとコロ助を先に行かせて、
「おい、返すぜ」と貯金箱を渡すブタゴリラ…
自分も小さい頃、父ちゃんと母ちゃんが仕事で構ってくれなかったのがさみしかったから…と。
立派な俳句をつくって終了。
「母を待つ 子の手で遊ぶ 小鳥かな」
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とにかくイケメンなブタゴリラの回です。
いつだって情にはアツいブタゴリラですが、
素直に「キャー!!」って言えるイケメンさは、
今のところこれがはじめて。
小さい頃…八百八を手伝えなかった頃、
ブタゴリラはひとり寂しい思いをしていたのでしょう。
そんな自分に文鳥がいたら、どうだったか。
あの一瞬で想像して譲り渡せるの、かっこよすぎる。
今の自分はもう5年生で配達の手伝いもできて、
父ちゃんと母ちゃんと一緒に仕事ができるから、寂しくないから
文鳥は必要ないと…
「父ちゃんと母ちゃんがいない悲しみ」を知っているからこその
決断だったと思います。
さて、タイトルに戻りますが。
ブタゴリラは超自主的に八百八を手伝っております(アニメ版)。
「八百八を継ぎたい!」という夢があるとはいえ、
その夢のために、わざわざ小学生のころから働く必要はないでしょう。
それでもしっかりと勤め上げるのは、寂しかったからなんじゃないかなと。
自分も父ちゃんと母ちゃんの、「八百八」の一員であると誇示するために
お手伝いをしていたんじゃないでしょうか。
強くて能天気で自由気ままに生きているようなブタゴリラにも
こういう弱みというか、人間らしさがあるとものすごくリアルだし、
自分の中でのブタゴリラのキャラクターとしての奥行が出てきました。
「キテレツ大百科」はわたしにとって理想の宝庫だから
その理想を形作る人々にもちゃんと現実味があるとなんだかうれしい。
トンガリはママと共依存だし、みよ子はママにネグレクトされてる疑惑あるし
キテレツ以外は割と人間味が強かったりするかもしれないね。
まだまだ考察しがいのあるキテレツ大百科くん。
何度でも見返したい作品です。
この回はブタゴリラ推しじゃなくてもめっちゃキュンとくるので
ぜひいろんな方に見てほしいなぁと思います。
割と考察してなくて、話の要約みたいになっちゃいましたが
手がクソ冷たすぎてもうキーボード打てないので
ここらで終わらせていただきたいと思います。
それでは。