航時機

昔のことを思い出しつつ気の向くままに書いてます。

 

私は手に対する異常なこだわりがある。

 

女子がよくいう男性の手フェチのようなものではない。

もちろん、男性のゴツゴツとした男性らしい手に魅力があるのはわかるけれど

私はむしろ、女性の手に興味がある。

 

男性が女性を表現するとき、「やわらかい」という単語を使うことが多いように思う。

 

女性である私にとってそれはなかなか理解しがたいものだ。

わたし自身が、きっと男性よりはやわらかいだろうから。

自分という比較対象があって初めてそのやわらかさの魅力に気づけるというものでしょう。

 

とはいえ、20年も生きていれば、

そのやわらかさに胸を打たれる経験などというのも存在するのである…

 

年頃の女子というのは、何かとスキンシップを測りたがるものだ。

わたしはコミュ障であったり、プライドの高さやら妙な潔癖からか

あまり他人の体に触れるのは好きではないのだが、

高校2年の頃、友人の手に触れた時、初めて感動を覚えた。

 

女の子の手だ…

 

いくらスキンシップが苦手とはいえ、

それまで女子の友達の手に触れたことがなかったわけではない。

ふざけて手を繋いだりしたことなどもあっただろう。

 

でもその時触れた友人の手は、確かに「女の子の手」だったのだ。

白くやわらかく、すべすべとしていながら、もっちりとしたふくらみがある。

男性諸氏が想像する手の真骨頂ではないか…

 

 

 

 

人の描く理想というものは、案外存在しているものだなという

驚きの出来事でありました。

 

 

あの時触れた「女の子の手」が忘れられないのです。

私もこの手をあの手にできないだろうかと。

 

そんな思いから、執着心を見せている次第であります。

 

手を見ると年齢が分かる、というような逸話もありますので、

これからの季節はより力を入れて手をケアしていきたいという、

思いの裏をちょろっと書いてみたいなぁと思っただけのブログでした。

 

 

旅行と物語と

 

 

最近卒論を書き始める準備を始めました。

本当はもっと早くから…とかいう戯言にも飽きてきたのでそのようなものはナシに。

 

本を読んで、テーマを考えて思ったことを取り留めもなく連ねていきたいと思います。

 

テーマは観光とか旅行なんですけどね、

私、人より旅行が嫌い、というか、全くもって興味がない自信があります。

人はなぜ旅行にいくんでしょうか?わざわざ旅行に行く必要があるんでしょうか?

 

人それぞれ旅行に求める意義が違うわけなので、

とりあえず、私が旅行に求める意味とか意義を最初に述べます。

 

私は旅行は、「素敵な宿に泊まること」だと思っています。

全然定義できてねぇじゃん!意味わからねぇ!と思うかもしれないんですけど

だってそうなんだもの仕方ないじゃないですか。

そこに、「誰と泊まるか」「何が食べられるか」とか色々付随してくるわけですね。

誰と泊まるか、に関してはさておき、何が食べられるかっていうのは、

その土地のおいしいもの~とか、その土地にあるその旅館だから…っていうものが含まれてくるので

まぁ、旅行の意味として成り立つんじゃないかと思います。

 

しかし、素敵な温泉というのはなかなかお高いもの。

それにプラスして交通費なんかもかかる。

色々吟味した結果、あ~家でいいや、という結論に至ってしまうのです。

 

誰と泊まる、という意義に関しても、

別にその人と一緒にいたら遠くまで行かなくても楽しいし…

となるので、まず旅行を自ら計画することはない。

 

今日読んだ文献の中で、旅行は、

社会の中で有名なものを、自分の土地ではない、異教の土地で一時楽しむ

というような定義がされてました。

著者と、古い研究と混ざってるかもしれないけど大体こんな感じ。

 

私は別に、古いものとか有名なものとか歴史とか興味がないので、

何かを見に行く、ということに意義を感じられないんですよ、行く前は。

行ったら行ったでもちろん、雰囲気にのまれて楽しむんですけどね。

 

だから、それを楽しみに、それらを意義に旅行をしている人たちに

共感することができなくて、結構苦しむ。

社会的にメジャーな趣味に共感できないと会話に困るんですよ。

意味もない生返事をしていりゃあいいんだとは思うのですが、

私は嘘をつくのが大変苦手なので…という雑談はさておき。

 

大学生活約4年の中で、旅行という旅行をしたのはたったの2回でした。

友人が企画しなければまず行かない。

行くとしても、とにかく旅行の経験がないから相場が分からず

なんだこんなにかかるのか旅行って…という気持ちになってしまう。

いや、もちろん楽しかったのでね、あしからず。

数万円くらいUFOキャッチャーやラバストなんかにぶち込んでる身で

旅行を高いと思ってしまうのも、オタクの悲しい性なんでしょうか…

 

と、私の旅行観やらオタク事情についてはさておき。

 

旅行好きの人の旅行の意義について、本の内容やら今までの見聞から考察していきます。

 

旅行好きの人っていうのは、

もちろん誰かと行く旅行も好きだけど、一人で行く旅行も楽しむ。

一人でも楽しめるっていうことは、やっぱり旅行自体に意義を感じている。

 

移動時間とか、違う土地で感じる空気だとか、そういうひとつひとつが

楽しみとして成立してるんでしょうねぇ。感受性が強いのかなぁ

 

本の著者の定義するところによりますと

旅行というのはものがたるためにするもの、だそうです。

 

人に話すだけじゃなくて、自分自身との対話にも言えるそう。

 

なるほどな~と思いました…

一人旅って、毎度毎度自分探しの旅みたいなもんなんですね。

 

見たものを写真に収めてインスタグラムにでもアップロードするんでしょう。

それは大多数に対しての「ものがたり」であるし、

自分と対話してなくったって、ものがたってはいるんですね。

 

でも、物語るため、なんて言われたら悲しくないですか?

人との話のネタのために旅行してるわけじゃないでしょ。

もしそういうために旅行してるんじゃないやいっていう方がいたら教えてほしいのです。

 

 

ブログの本題は、ここなんです。

物語というのは、誰かと会話するために享受するものか、ということなのです。

 

わたし自身、旅行で手に入れる物語には興味がないとはいえ

物語自体は好きですし、その中に生きているような人間です。

 

でも、わたしは誰かと対話するためにそれを享受しているわけじゃない。

(たとえば妄想なんかでキャラクターを動かしたり、

キャラクターと会話を楽しむとしても、それは対話…ではないと思うのです…)

 

でもまぁ、一つの物語を見たら、誰かに話したいなぁとは思うよね。

 

うーん、でもそれって結果的なものであって

それが目的なんだろうか…今のところまだ論破されそうな疑問でしかないから

もうちょっと深堀していきたいなぁと考えています。

 

実際、漫画とかアニメとかを人と話したいから享受するって人はいくらでもいると思います。

彼氏が好きだから車好きになった★みたいな感じですね。

 

どうも苦手なんですそういうのが。

だからなんでしょうか、

流行りものを流行ってるうちに見たりとかできなくて…天邪鬼ですねぇ。( ´▽`)

 

好みが似てる人のオススメを見てみるというのは

対話するためなんでしょうか…

結果的に対話はするんだけど、物語自体を楽しみたいと思うからじゃないんだろうか…

 

結果が定義になっちゃうんだろうか。わからん。ここにつまずいている。

本論とはめっちゃ関係のないことだし、

それを新しく定義づけたからって「社会的意義」とやらには

なんら影響をもたらさないのでブログに書いてみた始末です。

 

なんだか眠くなってきて結局何が言いたいのか

何が書きたかったのかよくわからなくなってきたので終わっておこうと思います。

 

なんで、私たちは物語を求めてるんでしょうかねぇ

ひっくり返すようですが、物語を享受するということは、

旅をすることと似ていると思うのです。

 

旅とは、物語とはなんなのでしょう…

 

これからじっくり考えていければと…

 

 

大人になって気付く牧場物語のリアルさ

 

 

私は小学5年生の時に、

牧場物語ミネラルタウンのなかまたちfor girlにドハマりしていました。

 

牧物は初めてのプレイでしたので、内容やシステムは全く分からず、

結婚がクリアだと知った時はなんだか気恥ずかしかったのを覚えています。

 

とにもかくにも作業ゲーなのに、

よくもせこせこと続けていたなぁと思います。

いや、もちろんすごい楽しかったんですけども。

なにせ私が一番真面目に二次創作をしていた作品ですから!!

 

あの頃パソコンがあったらと今でも思います。。。。

 

しかし、子どもながらにシステムに疑問を持ったりもしていたもので。

初期の主人公はとにかく体力がない。

お金もないのに体力回復のために食事をとらなきゃいけないのですが

キッチンがなく素材そのまま食べるのであまり回復力はなく…

 

また、初期の道具はひたすら効率が悪くなかなか規模拡大ができない…

とても地道~な戦いなのです。

 

ほんとにつらいなぁとか思いつつ、このぐらいのゲームバランスでよかったのです。

なぜか。

めちゃくちゃにリアルだからです!!!!!!()

 

OL生活に飽きて牧場にいきなりやってきた若いおなごが

すぐに牧場生活に順応できるわけがなかろう!

少しずつ体力をつけていくものだろう…!!!

 

その頃の頑張りがあるから、道具を改造していくことにありがたみを感じられるし、

体力の実(だっけ?)見つけた時の喜びが大きくなるのです!

 

最近の牧物は初期からチートで、様々な場所で農作業させられるから

正直そっちの方がめんどくさいと思う…。

ミネなかのゲームバランスはなかなかよかったんじゃないかなとか思います。

 

ゲーム賞賛のためにブログ書いてるわけじゃないのでこの辺で…

 

もうひとつ。このゲームに疑問を持っていたこと。

結婚候補と仲良くなる方法がひたすらものをあげるに尽きるということ。

 

なんてゲンキン、というか、いやいやそういうもんじゃないでしょとか

子どもの頃は思ってたんですよね。

そんな風に仲良くなって結婚しても真実の愛なんて…

とか考えちゃうようなクソマセガキでしたから。

 

でも、大人になってみると、

交際費って結構かかったりするじゃないですか。

何かと職場とかにお土産買っていかなきゃいけなかったりさ

仲よくない人にも付き合いで個別であげたりとか

そんな風にして仲良くなっていくことも少なくない…

というか、好感度あげる手っ取り早い方法だなぁと学んだわけです

 

もちろん、ホントに好きな友人にはあげたくてあげるから

こんなふうに感じはしないんだけども!

 

ごめんね、あの頃の純粋なわたし…

現実は案外シンプルでさみしいものでした…

 

他にも、住民と仲よくしてないとイベントが発生しないとか

好感度が低いと町の行事でやけに冷たくされたりするから

色々プレゼントするために町に繰り出してると

農作業する時間が全然なくなっちゃったりとか

 

もう~~~~~~とにかくリアルなんですよ、あのゲーム。

 

…なんていうことを思い出したので、

この先恋愛することがあれば、積極的にプレゼントしていこうと思います。

何もものだけじゃないんですよ!

手料理とかお菓子とか、そういう勝負もありますから女性は…!

 

わたしは料理のできる男性が好きだけど!!

できないっていうか、する気がない人が嫌いなんですよね~。

ママァ~に頼りきりなのはトンガリだけで十分です。

 

人にもよるけど男性から手作りクッキーとかもらったら

たぶん女性は結構喜ぶと思う。

ただしイケメンに限るのかもしれないけど…(๑´ڡ`๑)

 

少し話はずれましたが、とにかく、牧場物語はリアルなのです…

つながる新天地も結構楽しかったけど、

パートナーと別れるのに1か月も相手を無視しなきゃいけなくて諦めました。

 

ゲームでぐらいいろんな男をたぶらかそうとしたら

本命じゃない人に告白されて調子にのってとりあえず付き合ったものの

「ちいたむはモテると思ってたよ~」と

他の候補の子たちに言われてつらくなってきて別れたくなって…

 

とかいう現実では全く味わえないモテ女気分を堪能してましたよ、

というリアリティのない感じでこの記事を終えようと思います。