航時機

昔のことを思い出しつつ気の向くままに書いてます。

必死で就職した会社を1か月足らずで辞めて病んだ人が書いた文章

2018年5月、絶望の淵で息を吸って吐くだけの生活をしていたころに

書いた文章を発掘したので載せておきます。

 

今はここまでじゃないにしても

似たようなことはずっと悩んでいたりしますね

 

*** 

 

 

自分が今なにをしているのか、どんな状況なのか理解しないことで

自分を守っている。

 

転職に失敗して、衝動的に会社を辞めて約1ヶ月。

ふつう衝動的に会社を辞めるなんてことはできないだろうが、

あの会社では「ふつう」のことだった。

 

わたしが入社してから5人辞めた。

ヤバいですねと言ったら、たった3ヶ月しかいない人が動じずに

「そんなものです」とのたまう。

 

焦っていたとはいえ、

そんな異常な会社を見極められなかったことが本当に悲しかった。

 

これから先どうなるんだろう。

わたしは社会とうまくやれるんだろうか。

そういえばうまくやれたことって、今までの人生であんまりないかもしれない。

 

わたし自身に問題があるんだろうなぁとどこかで感じてはいた。

 

高校のときどん底でもがき苦しんだ。

体調が極端に悪くなったのもこのころだった。

 

大学はなんとなくやれてたけど、

それは大学という場所が社会と少しずれているからで

社会でうまくやってたわけじゃない。

 

周りの寛容な人たちに甘やかされて、見放されながら生きてきただけ。

 

そういう人たちに裏でなんて言われていたか、

今になって気づいたり気づかされたりする。

 

 

外にも出られず一人引きこもってただ時間だけが目の前にあるから

そんなことを反芻しては狂ったりする毎日。

 

社会という仕組みの中でしか生きられないのに、

どうして社会に組み込まれない人間が生まれてしまうんだろう。

そういう人が生きていていいんだろうか。

 

他の正常な人たちが一生懸命頑張った成果を

ただちょっとふつうと違う人たちが食いつぶしていいのだろうか。

 

そういう人を生かすということは、

もし自分がそうなったときの保険のような役割になるのかもしれない。

 

でも、社会の歯車に組み込まれずに

ただ浮遊し続けられるほど強い人間っているのだろうか。

 

正常な思考回路があったら、たぶん気が狂う。

 

わたしは今、誰に生かされているわけでもなく、

誰に守られているわけでもない。

自分が積み立ててきたもので生きながらえている。

 

これが、気兼ねなく寄生できる他者から吸い上げたものだったら。

自分が社会のはぐれもので、正常ではなくて、

出来損ないだと認めることになる。

 

わたしはまだそこにいかず、踏みとどまっている。

 

これはもう、プライドとの闘いだ。

それがいいとか悪いとかそういうのは抜きにして、

わたしは開き直って開示して生きるようなことはしたくない。