航時機

昔のことを思い出しつつ気の向くままに書いてます。

旅行と物語と

 

 

最近卒論を書き始める準備を始めました。

本当はもっと早くから…とかいう戯言にも飽きてきたのでそのようなものはナシに。

 

本を読んで、テーマを考えて思ったことを取り留めもなく連ねていきたいと思います。

 

テーマは観光とか旅行なんですけどね、

私、人より旅行が嫌い、というか、全くもって興味がない自信があります。

人はなぜ旅行にいくんでしょうか?わざわざ旅行に行く必要があるんでしょうか?

 

人それぞれ旅行に求める意義が違うわけなので、

とりあえず、私が旅行に求める意味とか意義を最初に述べます。

 

私は旅行は、「素敵な宿に泊まること」だと思っています。

全然定義できてねぇじゃん!意味わからねぇ!と思うかもしれないんですけど

だってそうなんだもの仕方ないじゃないですか。

そこに、「誰と泊まるか」「何が食べられるか」とか色々付随してくるわけですね。

誰と泊まるか、に関してはさておき、何が食べられるかっていうのは、

その土地のおいしいもの~とか、その土地にあるその旅館だから…っていうものが含まれてくるので

まぁ、旅行の意味として成り立つんじゃないかと思います。

 

しかし、素敵な温泉というのはなかなかお高いもの。

それにプラスして交通費なんかもかかる。

色々吟味した結果、あ~家でいいや、という結論に至ってしまうのです。

 

誰と泊まる、という意義に関しても、

別にその人と一緒にいたら遠くまで行かなくても楽しいし…

となるので、まず旅行を自ら計画することはない。

 

今日読んだ文献の中で、旅行は、

社会の中で有名なものを、自分の土地ではない、異教の土地で一時楽しむ

というような定義がされてました。

著者と、古い研究と混ざってるかもしれないけど大体こんな感じ。

 

私は別に、古いものとか有名なものとか歴史とか興味がないので、

何かを見に行く、ということに意義を感じられないんですよ、行く前は。

行ったら行ったでもちろん、雰囲気にのまれて楽しむんですけどね。

 

だから、それを楽しみに、それらを意義に旅行をしている人たちに

共感することができなくて、結構苦しむ。

社会的にメジャーな趣味に共感できないと会話に困るんですよ。

意味もない生返事をしていりゃあいいんだとは思うのですが、

私は嘘をつくのが大変苦手なので…という雑談はさておき。

 

大学生活約4年の中で、旅行という旅行をしたのはたったの2回でした。

友人が企画しなければまず行かない。

行くとしても、とにかく旅行の経験がないから相場が分からず

なんだこんなにかかるのか旅行って…という気持ちになってしまう。

いや、もちろん楽しかったのでね、あしからず。

数万円くらいUFOキャッチャーやラバストなんかにぶち込んでる身で

旅行を高いと思ってしまうのも、オタクの悲しい性なんでしょうか…

 

と、私の旅行観やらオタク事情についてはさておき。

 

旅行好きの人の旅行の意義について、本の内容やら今までの見聞から考察していきます。

 

旅行好きの人っていうのは、

もちろん誰かと行く旅行も好きだけど、一人で行く旅行も楽しむ。

一人でも楽しめるっていうことは、やっぱり旅行自体に意義を感じている。

 

移動時間とか、違う土地で感じる空気だとか、そういうひとつひとつが

楽しみとして成立してるんでしょうねぇ。感受性が強いのかなぁ

 

本の著者の定義するところによりますと

旅行というのはものがたるためにするもの、だそうです。

 

人に話すだけじゃなくて、自分自身との対話にも言えるそう。

 

なるほどな~と思いました…

一人旅って、毎度毎度自分探しの旅みたいなもんなんですね。

 

見たものを写真に収めてインスタグラムにでもアップロードするんでしょう。

それは大多数に対しての「ものがたり」であるし、

自分と対話してなくったって、ものがたってはいるんですね。

 

でも、物語るため、なんて言われたら悲しくないですか?

人との話のネタのために旅行してるわけじゃないでしょ。

もしそういうために旅行してるんじゃないやいっていう方がいたら教えてほしいのです。

 

 

ブログの本題は、ここなんです。

物語というのは、誰かと会話するために享受するものか、ということなのです。

 

わたし自身、旅行で手に入れる物語には興味がないとはいえ

物語自体は好きですし、その中に生きているような人間です。

 

でも、わたしは誰かと対話するためにそれを享受しているわけじゃない。

(たとえば妄想なんかでキャラクターを動かしたり、

キャラクターと会話を楽しむとしても、それは対話…ではないと思うのです…)

 

でもまぁ、一つの物語を見たら、誰かに話したいなぁとは思うよね。

 

うーん、でもそれって結果的なものであって

それが目的なんだろうか…今のところまだ論破されそうな疑問でしかないから

もうちょっと深堀していきたいなぁと考えています。

 

実際、漫画とかアニメとかを人と話したいから享受するって人はいくらでもいると思います。

彼氏が好きだから車好きになった★みたいな感じですね。

 

どうも苦手なんですそういうのが。

だからなんでしょうか、

流行りものを流行ってるうちに見たりとかできなくて…天邪鬼ですねぇ。( ´▽`)

 

好みが似てる人のオススメを見てみるというのは

対話するためなんでしょうか…

結果的に対話はするんだけど、物語自体を楽しみたいと思うからじゃないんだろうか…

 

結果が定義になっちゃうんだろうか。わからん。ここにつまずいている。

本論とはめっちゃ関係のないことだし、

それを新しく定義づけたからって「社会的意義」とやらには

なんら影響をもたらさないのでブログに書いてみた始末です。

 

なんだか眠くなってきて結局何が言いたいのか

何が書きたかったのかよくわからなくなってきたので終わっておこうと思います。

 

なんで、私たちは物語を求めてるんでしょうかねぇ

ひっくり返すようですが、物語を享受するということは、

旅をすることと似ていると思うのです。

 

旅とは、物語とはなんなのでしょう…

 

これからじっくり考えていければと…