航時機

昔のことを思い出しつつ気の向くままに書いてます。

批判人間が見る批判

 

今日は授業で表現の自由について勉強しました。

 

内容はとてもナイーブなのであんまり触れたくないようなものです。

⇒とか←とかそういう系のお話。

 

格別どっちに寄っているというのもないですが、

極端な場所におられる方には若干怖気づいてしまいますね。

 

身内にぽそぽそと読んでもらっているこんなブログでも

そんな内容を書き連ねれば、どちらかの方々から突っ込まれるのではと

冷や冷やしますので、まぁ、穏便にね。

 

で、本題です。

今日取り扱った表現の事件。

国のシンボルを題材にして、彼らを処刑するという小説を通じ

様々な問題が起こったという話です。

⇒の少年が編集長の家に行って家政婦さんをあやめてしまったとか。

怖すぎるんですが…まぁでも、そのぐらいひどい話ではあるとは思います

 

自分の友達とか両親とかが、実名で小説の中で殺されたら

どう思いますか?

よほど中二病とか、そういう性癖でもない限り普通は怒るし

不快な気持ちになりますよね?

 

いくら批判したいからとはいえ

そのような幼稚な表現方法をとって「表現の自由だ」と威張るのは

あまりにかっこ悪いと、私は感じるのですが。

 

そりゃあ私だって嫌いな人の一人や二人(ですむのだろうか)いますけど

小説の中で実名出して残虐非道な殺し方をして何がうまれるの?

そんなの妄想に留めてくれという話です。

 

家政婦を殺しちゃった⇒の人もどうかとは思います。

実行に移した事件で⇒の負けになってしまうように思えます。

そこは、幼稚な表現を高尚な表現で批判するとか

そういう態度を示していただきたかったなぁと思います。

 

まぁ少年だからねぇ、そんな風に考えられないんだねぇ。

というのはいいわけです。どんな理由があろうと人殺しはよくない…。

 

 

と、中立の立場にして、この辺で言及は打ち止めです。

ここからは個人的な感想です。

 

 

 

なんというか、偏見かもしれないけど、←の人たちって

こういう幼稚な表現しかできない人たちばっかりなんじゃないかなぁと

思い直す一件でございました。

 

ロックミュージシャンとかね。

ロックは好きだけど、彼らは、好きじゃない。

音楽としては最高だけど、歌詞には1ミリだって共感しません。

 

本物のロッカーにしてみたら、それはロックじゃないと言うでしょうが

私は音楽的に見てるだけなので、

歌詞とかクソダサくなければ別になんでもいいです。

いちいち主張をいれられても…。

 

音楽は一つの表現方法であることは理解できるんだけど

旋律に罪はないから、あんまり人を不快にさせるような言葉を

のせてほしいとは思わない。

 

今の時代、こうやってブログとかツイッターとかで

何かを発信すれば、それは表現になりますよね。

こんな問題提起なんてしちゃってますが

人を傷つけるようなことを大々的にいうのは、やっぱりよくないなぁと。

まぁいうにしても限度があるというか。

 

なにかものや人を批判してないと死んじゃうような人間で

「批判」そのものに対しては共感します。

が、ああいう奇抜を装って多くの人を傷つけるようなことは

もうほんとうに、絶対に、許せないなぁと。

 

これからは、品のある批判を心掛けたいなぁと思います。