航時機

昔のことを思い出しつつ気の向くままに書いてます。

もろはのつるぎ

 

カッコいいよね、もろはのつるぎって

脆いって言っちゃってるけど中二心をくすぐられるものです。

 

私はそんな人間なんだろうなぁと

特に根拠もなく思っております。

 

 

 

私はすき過ぎてどうしようもなくて

でも自分の力ではどうにもならないものを

あんなに好きだったのにすごく嫌いになったり

拒否反応が出てしまうことがよくあります。

 

人でも、趣味でも、場所でも、なんでも。

 

私だけではないと思うんだけど、なんなんでしょうね。

 

何でも自分通りになると思ってるあまちゃん

その現実を受け入れたくないから

自分から遠ざかってやろうとか、そういう上から目線的な

深層心理なのではないかと思い直す度に

自分のすべてがまた嫌いになってしまうのです

 

 

 

 

大人っていうものは、わかったようなことをいいます

私も、過ぎ去った後にはわかったようなことをいいます

 

でも渦中にいた時には「こういう風に言ってくれたら」とか

「これは言ってほしくなかった」というのがいくつもあった

 

どうして過ぎてしまうとそういう嫌なことを言ってしまうのか

 

どんなに好きでも自分じゃなくて他人だから

少しくらい傷つけてやりたいとでも思っているんだろうか

 

あの頃を思い出せない、自分の立場からしたら善良なことをいうから

そうなるだけなんでしょうねぇ

 

 

 

 

 

こういうちょっと重たいことというのは

思ったままにそのまま、脳に浮かんだまま書いてるんですが

読み返してみると

え?わたしこんな風に思ってたの?とか感じてしまうので

いったいどれがわたしなのかまったくわからない

 

 

 

 

だれかは自分がだれなのか、わかっているものなのでしょうか

私はそうだなぁ、わたしがわたしだとわかったことは

今の今までずっとなかったかもしれない

 

ずっと嘘をついて生きてきたと、そう言いたいくらいに

何もできなかったし何もしてこなかった人生で

これからなにかできるとも、おもいません。

みんながなりたくない「社会の歯車」になれるかどうかすら

わからない、存在です。

 

前にTwitterでも言ったけど

柔軟性のない人間は好きなことに関わる仕事はよくないと

そう思い直しました。

私は好きなものを嫌いになって拒否反応を起こすから

 

可哀想ですねぇ、わたし。ずっと好きなものっていうのには

きっと一生巡り合うことはできないでしょうから

時の流れと共にそういう区切りができて

そしたらまた、なにもないままに時間を過ごして

何かに巡り合ってまたさようならをするんでしょう

 

いまリーゼントが好きだから、

もし数年後生きていたとしたら、リーゼントを見たら

いまを思い出して吐きそうになってしまうかもしれない

 

 

好きなものを好きでい続けたい

好きなものとうまく、付き合って生きたい。

どうやってるんですか、みんな。

わたしは私の思い通りになるという考えを

小さい頃からずーっと直せなくて

こういう人って結婚できたとしたらDVとかしちゃうんだろうなぁ

 

とことん社会と生が向いてない人間だなぁと思う

 

生きる生きないはおいておいて

誰かに疎まれることで生きていくことしかできないことに対して

自分のなかでどう行動していけばいいのかわからないというのと

行動したところで変わることができるのかという不安が

今日も私の、目の前の課題への逃避の建前として

君臨し続けるのであります。