死と善悪についての散文
しにたいしにたい言ってますが
私は全く死ぬ気はなくて
最近はしにたい人が多いので
しぬことについてちょっと。
私は誰かがしにたいとか、自殺したいとかそんなことを言ったときに
「そんなことはいけない」と思って、言ってきたと思う。
そして、格別しにたくはないけどやるせなくなって
「しにたい」と言ってしまったときに
「じゃあしねば?」と言ったやつのことは未だに根に持っている
だからきっとわたしは
自殺すること、死ぬということは悪であると、
無意識的に決めつけてるんだと思う
自分が嫌になったときって
「しんだ方がマシ」と思うのに
死は悪いものだって思うのなんだか矛盾してるじゃないですか
死はいいものだって仮定して考えてみましょう。
ポアするみたいに。(笑)
詳しくない人のために簡単に説明すると
ポアってのはしょうもない人間は殺して輪廻転生させてやろう
ポアした人も輪廻転生させたからいいことをしている
というWin-Winの関係で成り立っているのである
はてなブログだともしかしたらポアのところに点線引かれて
解説されてたりするのかもしれないなと
書いてから思った。
という冗談はおいておいて
死ぬってことは今の自分を断ち切ることで、
悪いことはそこで全部打ち止め、もう苦しみを味わうことはなくなるし
例えば親のすねかじりしてこれ以上富を生み出すことができないなら
正直死んだ方がマシだと私はおもう、極論だけど
ただ自分を断ち切るということは
可能性もなくなってしまうということで
生き続けることで得るものとか、成長とかはあるはずじゃないですか
でもこれはずなんだよね。
ないかもしれないんだよね。
今はネガティブだから肯定的立場の考えを生み出すことはできなかった
よって、自殺は悪ではないという…立場になってしまう
ダメじゃないか~。
自殺は自分への人殺しだからダメとかいうトンチ的なのはなしね。
ここまで読んでくれた人は思ったでしょう
「結局お前はどっちの立場なんだよ」
と。
それが分からないからこうなっているのです。
考えるときにどっちの立場にも立つようにしてたら
結局どっちにも立ちたいかわからなくなってくるのが
わたしの癖というか…なんというか
しにたくはないって言ってるから
悪だと思ってるのかもしれないね。
でも、悪いことだからしないのではなくて
善悪は関係なく、生きたいと思ってるからそう思うだけなのかもしれないので
…結論、わからない。
善だと思う人は、したらいいと思う。
でも、それで悲しむ人は、きっと必ずどっかにいると思う
現に私はニュースで自殺した話とか見ると
すごく悲しい気持ちになるよ。
死んだ人にとっちゃてめぇに同情されて何が変わるんだよって感じだと思うけど
色々お気遣いしてもらってさ、すごい嬉しいんだけど
素直にお礼を言えるような精神状況じゃないときって
みんなどうしてるのかなぁ…
自分が介入するときは、その人を大切に思ってするし、
お礼を言われたいからやってるわけじゃないけど
でもなんというか…うーんうまく言えない
難しいよね。
ああ~本当に面倒な人間ですねぇ。
まだ目はしばしばするけど薬が効いてきて頭が痛くなくなってきたので
そろそろやらなきゃならないことに移ろうと思います。