航時機

昔のことを思い出しつつ気の向くままに書いてます。

ルール

 

わたしは自分でもわかるぐらい

ヘイトスピーチがおおかったり、

イライラしていることがおおかったりする。

 

原因を突き詰めると、

それはわたしが正義感が強すぎるからだという

自己完結に陥ってしまう。

 

ちょっと電車でマナー違反の人を見かけると

ありえない、と思っていらっときてしまう。

 

「どうしてそんなこと気にするの?」

 

と言われても…

むしろなんで気にしないの?

 

自分だってマナーを守れていないときとか

きっとたくさんあるんだろうけどね。

 

○○はこうあるべき、とか

××はしてはいけない、とか

 

自分の中でルールがたくさんあって

それにそぐわないとイライラしてしまうのなら

いっそそんなものない方が幸せなんじゃないかなって

思ってしまいますよね。

 

でもそれじゃあ社会なんて破たんしてしまう。

 

 

 

 

幸せに生きるためにある倫理とかマナーに

逆に支配されて鬱々として人生を過ごしてしまうことに

もう何年悩まされているかわかりません。

 

思えば中学生の時に委員長やってたときも、

風紀委員みたいなのやっていたときも、

こまかーーーーーーーーーーいことで注意していたもんです。

 

きっと裏では

「ちょっとのことも見過ごせないなんてカタブツだ」

なんて言われてたんでしょうね。

 

しばらくして、見逃すのもひとつ、ということは学んだのですが、

みんなのルール破りを見逃すために

管理職に就くこずるいヤンキーたちが現れるんですよ。

 

こういう輩が出てくるから、やっぱりルールは絶対じゃなきゃいけないのです。

細かいことでも、守らせなきゃいけないのです。

ひとつ破るとまた一つ…甘い汁をどんどん吸ってしまうのが人間ですもの

厳しく統制しなければ。

 

それはわたしが弱い人間だから

厳しく厳しく自制しなければならないというのを

他人にも押し付けているようにも感じるのですが。

 

 

 

イライラしても、イライラしても

やっぱりルールが大好きなんでしょう、わたしは…

 

早くこの考えのループから抜け出したい。

 

なんだか今日は重たくなってしまった。

わたしが倫理学を学ぶひとつの理由であります。